6月15日

早起きの自転車おばあちゃん。立ち止まって帽子をかぶりなおすおばあちゃんを隣で待つおじいちゃん。ローソンで唐揚げを大量に買い込むサングラスのギャルママ。お店のシャッターを勢いよく上げる精肉屋のおばちゃん。

みんなそれぞれ「おばちゃん」だの「ギャルママ」だのと道を歩くスッピンの学生に思われているとは考えもしないのだろうけど、平日朝の商店街は良い。

6月8日

恋人ができると、ひとりでいる時間が、ひとりでいるなあという気分でいっぱいになって、少しつまらなく思えてくる。恋人も何も、一緒にいてくれるかどうかも分からなかったときや、大抵ひとりで夜を過ごしていたときにはたくさん持っていたお気に入りの時間や習慣も、いつの間にかわからなくなっていって―どうしたらいいかわからないときにはいつも聴いていたこの曲を聴いても、そのときの暮らしを思い出すばかりで。ひとりでいたときには、それがお気に入りだということを自分に言い聞かせているような気分だったし、すきなことをしてすきな時間を過ごすときは、いつもさびしさが一緒のような気がしていたけれど―さびしさといつも同時に迫ってきた夏の風景や匂い、なぜだか分からない焦りや妙に凛々しい朝の空気―好きな香水をつけるだけで誰かが自分に気がついてくれるような気がしていた。それでも、誰かと飲むアイスコーヒーは、ひとりで飲むアイスコーヒーよりも美味しくて(彼はホットコーヒーしか飲まなくても)日曜日が好きになった。しあわせは、どんどん私を鈍感にしていくけれど、いずれにしてもさびしいんだから。それでもやっぱり友達はいつもそばにいてくれて、今年も雨の季節がはじまった。

3月10日

あくびをすると、信じられないくらい喉が痛い。全く。
最近、1人でゆっくりダラダラすることがなかなか無かった。布団の上に乗っかって、iPhoneのお尻のスピーカーを自分の方に向けて星野源を聴いた。切なーい!切ないのは、やっぱり最高だ。今年の夏は綿の白いTシャツを着て、カーテンを開けた部屋で切ない曲をたくさん聴くぞ。まぁ、オトナが近づいてきて、そうそう気ままにもやっていられないのだけれど。

2月17日

おばさんになっても一緒に居てねとか、ずっとそばに居てねとか、これから先そんなことを思っていくのかと思っていたけれど、案外思わなくなっていくものなんだな。絵を買いたいし、吊るした電気の下でご飯を食べたい。ベッド脇には読書ランプが欲しい。腹が立つこともあるだろうけど、家があって季節があって友達が居たら良い。そう思ったら、焦ることなく毎日を渡っていくだけなんだな、と。好きなことは勉強していこう。それだけだよね。
コンプレックスなんて自分の問題で、友達以外はそれに付き合ってはくれないもの。まあ、お酒なんてやめられないんだし、丁度良く諦めたらいい。

9月20日

明日はどこへ行こう。紙を買いに行って部屋作りをしようかな。部屋ができてきたらかなり落ち着いてきた。
今思い出してみると、夢だったんじゃないか、本当にあったことだったんだろうかって思えることっていっぱいある。そんなことを思い出そうとするとぎゅーっと焦るようなドキドキするような気分になるんだけど——私が笑うことで嫉みや遜りに諦めがつく、そう思ってくれる男の子が居たら良いのに。