1月27日

こうして結局ここに戻って来てしまった。もう生きるのを諦めてしまおうと思うたび、言葉で記すしかないと思ってしまう。潔く諦めてしまえばいいものを。言葉にたずさわる仕事をするようになって、書くことが嫌いになってしまった。口に出して表すのが苦手なぶん、書き記すことはゆいいつ逃げられる方法であったのに。

自分の書いたことでは、誰にもなにも伝わっていない気がしてしまう。言葉選びが誤っている、読みにくい、メンヘラだ、頭が悪い、面白くない。自分は何にも秀でていない。世の中に対しては、みんな違ってそれがいいと心から思っているのに、自分だけが世より5段も6段も下にいるように思える。道ゆく人は1人残らず自分よりも美しい。自分ばかりが信じられないほど醜い。愛しようのない醜さだ。誰かが愛おしく思ってくれるはずがない。もうたいして若くもない。元から綺麗でもない体のくせに、どんどん崩れていく。日々重ねて醜くなっている。当たり前のように、自分の存在など誰の気にも留まらない − 自虐・自傷はエゴだし、楽しくないドラッグのようなものなのに、やめられない自分が情けない。

なぜこんなにも愛され認められることに執着してしまうのか、本当に嫌になる。人を傷つけないように生きてきたし、近しい人ほど苦しんでいたら寄り添ってきたつもりだ。それをするのに自己犠牲を続けていたら意味がない?自分を傷つけるのは誰を傷つけるよりも罪深い?じゃあ、どうやって生きたらいいんだよ。醜くて能力のない自分には、人の顔色を伺って我慢をするしか生き抜く方法がなかった。今さら、大人なんだから自分を愛せと言われても、立ち往生してしまう。自分のことが何よりも嫌いだ。誰と比べても劣っている。だから誰よりもやさしくなりたかった。

こうやって首を垂れて歳をとってもいいことがないのは分かっている。それでも愛されない自分が憎くてたまらない。勝手に期待して自己犠牲を繰り返しているうちに、相手は私への興味を失っていく。バカのように言うことを聞いている犬のように思えるのだろう。犬のように愛らしければと思ってしまう。人生が、海面を上る泡だったらよかった。もがいて上っているうちに、ぽっと弾けて消えてしまえたら、どんなによかっただろう。