1月10日

正直なところ、つらくて書き記す体力がない。歳をとることがこれほど悲しいとは思わなかったし、自分の生活がこれほどつまらなくなるとは思わなかった。醜い自分が憎い。それなのに今年も世から消えられなかったことが情けない。醜かった自分はもっと醜くなった。明日朝、泡のように消えられたらと思う。誰か、愛しんでくれるのだろうか。そう思う自分も愚かだ。

2月9日

めずらしく外が明るい時間に書いてみる。いつもは憑かれたように暗くなってド深夜に書いているので、たまにはいいだろう。

ふとしたことから、幼馴染のことを思い出した。昔からいる存在すぎて、普段はわざわざ思い出してみることもないのだ。彼が私のことをどう思っているかは分からないけれど、2人とも気怠い大人になったものだ。逆に、世が彼のことをどう思っているかは分からないけれど、社員代表として挨拶しない、タバコかお酒を片手に自分を卑下して、でもそこそこに働いている組織人。そんな感じ。

出自をよく知った彼にすら、なんだか最近の自分を見られるのは気がのらない。何も持たず、いろいろな我慢をできぬまま見た目ばかり老いていく自分が恥ずかしい。久しぶりに会ったって、話すようなことなんて無いんだ。

暑い季節は大嫌いだけど、なんだか今日は夏が恋しい気がする。早く皆でまた出かけられるようになるといい。今までだって、そんなことはほとんどなかったけど。

6年前

6年前の自分は、呑気に自分が幸せに妊娠する日があるんじゃないかと書いていた。バカなんじゃないのか。自分の情けない失敗のツケを払い、勝手に苦しんでいるに決まっている。やってはいけない自傷をした。幸せになる資格がない。呑気なうちに死んでおけばよかった。

1月27日

こうして結局ここに戻って来てしまった。もう生きるのを諦めてしまおうと思うたび、言葉で記すしかないと思ってしまう。潔く諦めてしまえばいいものを。言葉にたずさわる仕事をするようになって、書くことが嫌いになってしまった。口に出して表すのが苦手なぶん、書き記すことはゆいいつ逃げられる方法であったのに。

自分の書いたことでは、誰にもなにも伝わっていない気がしてしまう。言葉選びが誤っている、読みにくい、メンヘラだ、頭が悪い、面白くない。自分は何にも秀でていない。世の中に対しては、みんな違ってそれがいいと心から思っているのに、自分だけが世より5段も6段も下にいるように思える。道ゆく人は1人残らず自分よりも美しい。自分ばかりが信じられないほど醜い。愛しようのない醜さだ。誰かが愛おしく思ってくれるはずがない。もうたいして若くもない。元から綺麗でもない体のくせに、どんどん崩れていく。日々重ねて醜くなっている。当たり前のように、自分の存在など誰の気にも留まらない − 自虐・自傷はエゴだし、楽しくないドラッグのようなものなのに、やめられない自分が情けない。

なぜこんなにも愛され認められることに執着してしまうのか、本当に嫌になる。人を傷つけないように生きてきたし、近しい人ほど苦しんでいたら寄り添ってきたつもりだ。それをするのに自己犠牲を続けていたら意味がない?自分を傷つけるのは誰を傷つけるよりも罪深い?じゃあ、どうやって生きたらいいんだよ。醜くて能力のない自分には、人の顔色を伺って我慢をするしか生き抜く方法がなかった。今さら、大人なんだから自分を愛せと言われても、立ち往生してしまう。自分のことが何よりも嫌いだ。誰と比べても劣っている。だから誰よりもやさしくなりたかった。

こうやって首を垂れて歳をとってもいいことがないのは分かっている。それでも愛されない自分が憎くてたまらない。勝手に期待して自己犠牲を繰り返しているうちに、相手は私への興味を失っていく。バカのように言うことを聞いている犬のように思えるのだろう。犬のように愛らしければと思ってしまう。人生が、海面を上る泡だったらよかった。もがいて上っているうちに、ぽっと弾けて消えてしまえたら、どんなによかっただろう。

なりたくなかった大人になってはいないか

人生は罰だ。本当に死んでしまおうと思い続けるようになったのはいつからだろう。引き金を引くだけで人生が終わったらどんなに良いか。気づけば、生活を愛おしく思うこともなくなった。自分の好きなモノや時間が何だったかもわからない。日々をやり過ごすだけで精一杯だ。

このまま時が過ぎていくのが不安だ。歳ばかりとって、人生は何も進んでいない。時が過ぎていくくらいなら、いっそすべてを止めてしまったほうがいいんじゃないか。死ぬのはいつでもできる、本当にどうしようもなくなったら死ねばいいじゃないか、そう思ってここまで来たけれど、死んで同情されるなら、その前に死んだほうがましだ。

自分を愛せるようになるには、日々の訓練を重ねるしかないんだろう。訓練なんて大っ嫌いだ。自分を愛せない限り、他人を愛せないし、人生はつらいままなのだろう。だから、本当に死ねばいい。死んで、燃やされて、汚い墓に入って、忘れられてしまえばいい。醜くて価値のない人間なのだから、本当にそんな人がいたのかどうかわからなくなって、どんどん季節が巡っていけばいい。

 

 

歳をとった

思ってもみなかったことが起きている。もう自分が26歳なのだ。あんなに先のことだとバカにしていたオリンピックはもうそこだ(延期になったが)。
大人になったのだと思う。今までは感じられていた小さな季節の移り変わりや、微妙な自分の心情の変化が感じられなくなった。幸せになる方法ではなく、不幸にならない方法を探るようになった。仕方がない。でも正直、寂しい。

たまたま、活動休止を決めた嵐を追うドキュメンタリー「Arashi's Diary」を観た。ジャニーズと言えばナルシストな雰囲気が漂っているけれど、彼らは圧倒的にお茶の間感がある。男の子であることが羨ましくなるような、素朴な男性像があったと思う。実生活はきっとしっかり芸能人らしいものなんだろうと思うけれど。

彼らはどうあれ「一緒に歩んでいくのをやめましょう、それが最善です」と決めることは、とにかく切ないものだ。だって、いつかきっと不安な時、一緒にいるのを諦めた人たちのことが恋しくなる。壁にぶつかる度、自分しかいないという情けなさを思い知る。

それでもアイドルは、自分の感情を言語化するのがとてもうまい、と思った。自分の感じたことを言葉にする習慣がある人は多くない。自分も、苦手だ。でも、口に出して初めて伝わることは多い。他人は他人だ。

嵐もしっかり目尻に皺がある。彼らも歳を食ったのだ。
2020年。自分はオトナの新入社員といったところだろうか。時は進んでいく。